イスラエル・ユダヤ食文化

ハメツとイスラエル・アラブ

ハメツ焼却ハメツとイスラエル・アラブ フムスの村に見る共生

ペサハとは種入れぬパンの祭りであり、その間ユダヤ人はハメツ(酵母)を持つことは許されません。前回、飲食店や小売店が、ペサハ期間にハメツ商品の権利を異教徒に「売る」ことをお伝えしましたが、今回はもう少し詳しく説明してみましょう。

ペサハの前には、ユダヤ人は家からハメツを取り除かなくてはなりません。基本的にハメツの処理としては、①焼く、②非ユダヤ人に売る、③容器に入れて封をして倉庫等に隔離する、という対処法が挙げられます。戒律に厳格な宗教的な超正統派の人々は、ハメツ徹底的に取り除くため、焼きます。ペサハ前ともなると、ダティーム(宗教的な人々)の多い地区では、路上でハメツを焼く光景がよく見られます。また、ペサハ前夜には、昔は蝋燭で灯を翳しながら家中のハメツを探し、鳥の羽で掃くという儀式をしていました。現在では、電話やネットで簡単にハメツを売ることができますし、世俗派の中には気にしない人もいますが、この除酵の儀式は、やはりユダヤ人にとっては重要な戒律であり伝統なのです。

ハメツ売却証明書ハメツとイスラエル・アラブ フムスの村に見る共生

ハメツを「売る」というのは、実際にはハメツの所有権のみを他者へ移動させるということです。イスラエル建国以前は、周辺のキリスト教徒やムスリムにハメツの権利を売っていましたが、エレツ・イスラエルでは、周囲に非ユダヤ人がいなかったり、いても交流がないため、ハメツを売る人の多くは、ラビやシナゴーグへ売ります。ハメツを売った証明として売却証明書である「イスルー・マキラト・ハメツ」が渡され、飲食店や小売店では、ペサハ期間にこれを店頭に貼り、店内にハメツを所有していないことを明かすところもあります。

もちろん、この「売買」はトリックで、ペサハが終わればハメツの権利は戻ってきます。ハメツ商品の実物を非ユダヤ人に預けたりあげた場合でも、友人や知り合いならば、ペサハの後にちゃんと返してくれます。北アフリカ系の伝統のミムナーは、ペサハは通常家族で過ごすことが多かったため、その間交流を断っていたユダヤや、ハメツを預けたムスリムの友人が花やプレゼントと一緒に返しに持ってくるのを迎え入れていたものです。つまり、ペサハ期間のハメツの売買が、ユダヤとムスリムの交流に一役買っていたのです。

もっとも、このミムナーの伝統が北アフリカ、特にモロッコで盛んだったのは、そのホスピタリティ旺盛な民族性によるところが大きいようです。ヨーロッパでもキリスト教徒にハメツを売っていましたが、残念ながらミムナーのような伝統は生まれませんでした。

ハメツ買い取りハメツとイスラエル・アラブ フムスの村に見る共生

では、このように売られたハメツは、最終的にどこへ行くのでしょうか。ラビたちもユダヤ人である以上、当然ペサハ期間にハメツを所有しているわけにはいかず、イスラエル中から集められたハメツの所有権を、誰かに売らなくてはなりません。その「誰か」とは、Abu Goshに住む、一人のイスラエル・アラブ人です。ペサハ前に地域のラビやシナゴーグに売られたハメツの権利は、最終的にセファルディームとアシュケナジームのチーフ・ラビのもとへと集約されます。この二人が、財務大臣とともに、すべてのハメツの権利をAbu Gosh在住のHussein Gaber氏に売却するのです。

2007年4月に、このGaber氏にお会いし、お話をうかがうことができました[1]。彼はアラブ・ムスリムで、西エルサレムにあるラマダ・ルネサンス・ホテルのマネージャーです。このホテルはコシェルメニューやシナゴーグもあり、ダティームの利用の多いホテルで、その関係で当時のアシュケナジーム・チーフラビに信頼されて、この仕事を任されたそうです。イディオット・アハロノット紙によれば、売却額は150万ドルということで[2]、そんな多額のお金をどう工面するのか心配になりますが、これはあくまで儀式的な手続き上のことで、実際は形式的に200シェケル紙幣を1枚渡すだけだそうです。ペサハの後は自動的にハメツの権利は、それを売ったユダヤ人全員の元へ戻ります。

また、アラブ・ムスリムがユダヤ人の宗教的祝祭に関する取引をすることで何か問題はないかという質問をしましたが、何もないとのこと。2007年当時、すでに13年間彼はこの仕事を続けていましたが、その間、何も問題はなく、家族も彼がこの仕事をするのを喜んでいるそうです。彼が生まれたとき、すでにイスラエルという国家は存在しており、彼はイスラエルでイスラエル人として生きてきて、この仕事を誇りに思っていると言います。生きている限り、ずっとこの仕事を続けるとのことでした。

Abu Gosh1ハメツとイスラエル・アラブ フムスの村に見る共生

ところで、Abu Goshという名前に聞き覚えはありませんか?ここは、『中東フード戦争』でお伝えした、レバノンとフムスの所有権をめぐってギネス登録に挑んだレストランのある、あのアラブ・ムスリムの村なのです。

2010年4月のペサハ明けに、Abu Goshにあるこのレストランを訪ね、マネージャーのAlex Rahman氏にそのときの話をうかがってみました。158人のシェフが2日がかりでフムスをつくり、静かなアラブ・ムスリムの村にCNNをはじめ世界中からメディアが訪れ、大変な騒ぎだったそうです。フムスづくりの費用はすべて店持ち、シェフもすべて店の従業員だそうです。実はこのレストラン、結構な規模で、テルアビブ近郊にフムス製造工場を持っており、当日はそこから応援を頼んだそうです。また、ネヴェ・ツェデク[3]というテルアビブでも最もおしゃれな地区にも店舗を出しています[4]。このフムスづくりには当然、多額の費用がかかったそうですが、いい宣伝になったとのこと。このギネス挑戦はショートムービーがつくられ、店内で見ることができます。Rahman氏に、なぜギネスに挑戦したのかうかがったところ、「フムスに対するパレスチナの権利を主張するため」という答えが返ってきました。フムスはレバノンだけのものではないからです。彼らが再びギネス記録を更新すれば、また戦うとのことです。

Abu Gosh2ハメツとイスラエル・アラブ フムスの村に見る共生

この村自体は、16世紀にカフカス地方出身のムスリムAbu Goshの氏族によって建設されました[5]。Rahman氏の話では、Abu Goshの住人は、カフカス地方出身から、1600年ごろ~1878年にかけて、ロシアから逃れてきたとのことです[6]。つまり、現在のAbu Goshの住人の中には、ユダヤ人と同じ時期に同じ様にこの地に逃れてきて、同郷者の築いた村に居を定めた避難民がいたということです。イスラエル独立戦争(第1次中東戦争)では、Abu Goshは中立を守りました。この村がアラブ・ムスリム地区の中で、イスラエル側から特に信頼が篤いのはそのためです。

Abu Goshはユダヤ人とアラブ・ムスリムとの共存の模範的事例としてメディアに取り上げられることが多いですが、ここでいう「共生」とは、ユダヤ人とムスリムが混ざり合って暮らすというものではありません。山の麓から中腹にあるAbu Goshのすぐ上には超正統派の地区Qiryat Ya’arimがあり、この二つのグループは同じバス乗りエルサレムや他の地域へ行きますが、バスの中で談笑したり、互いの地区へ行くというような光景は見られません。しかし、前述のフムスづくりのギネス挑戦ムービーには、記録更新に湧き返る人々の中に、超正統派の人々も見られました。互いに干渉せず距離を保ち、普段は交流がなくても、お祭り騒ぎには一緒に参加して喜び合い、ハメツの買取人が必要ならば買って出る。それがAbu Goshで見られる「共生」の形のようです。

このような「共生」をパレスチナ全域に一般化することはできませんが、文明の十字路であり三宗教の聖地であるエルサレムを擁するこの地では、「パレスチナ人」という概念とそのあり方もまた、「イスラエル人」同様、一枚岩ではありません。ペサハ期間、イスラエルでハメツの規定が遵守されるのには、このようなイスラエル・アラブの協力があったのです。


[1] 以下の内容は、2007年4月9日、ラマダ・ルネサンス・ホテルで私が行ったインタビューから。

[2] イディオット・アハロノット紙 2007年4月2日。

[3] テルアビブで最も古い地区ですが、近年再開発が進み、修築された古い建物にアーティストのショップやレストランが入り、テルアビブでも最もファッショナブルな地区で、観光スポットにもなっています。

[4] 店名はAbu Gosh Restaurant(ヘブライ語ではミスアダト・アブーゴーシュ)。

[5] City Map of Abu Gosh, Blustein, 2001

[6] カフカス地方南部は、16世紀以降、オスマン帝国とサファビー朝とに挟まれ争奪の場となり、19世紀以降は北カフカスを含めた全域が、南下政策を取るロシアの侵略を受けることになります。ロシアに対するカフカス地方のムスリム諸民族の一連の戦争を総称してカフカス戦争といいます。クリミア戦争(1854-1856年) 後、カスカス地方はロシア帝国領に併合されますが、その後もロシアに対するカスカス諸民族の抵抗は続きました。中にはオスマン帝国領へ逃れた人々もおり、19世紀末にAbu Goshに来た人々は、そのような避難民だったのでしょう。Rahman氏によれば、彼らはチェチェン地方出身だったそうです。


投稿日時:2010/5/6 (木) カテゴリー:Rie Report


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