イスラエル・ユダヤ食文化

中東フード戦争

中東フード戦争-食の領土と所有権

2005年5月10日、欧州司法裁判所は、ギリシャがP.O.D(原産地名称保護制度[1])に登録したチーズ「フェタfeta」に対するデンマークとドイツの提訴を棄却しました。フェタとは羊乳、または山羊の乳を羊乳に混ぜたものを職人の手によって固めたもので、名称自体は「スライス」を意味するfettaというイタリア語から来ていると言われています。1994年に申請、1996年に登録されましたが、1999年3月、デンマーク・ドイツ・フランスが、「フェタ」の呼称は一般的であり登録は無効であるとの訴訟を起こし、5月に登録は取り消されました。しかし2002年10月、再度「フェタ」はP.D.Oに登録、12月デンマーク・ドイツが再提訴していたのです。

この問題の焦点は、「フェタ」が一般的な名称か、この名称と製造方法が伝統に沿っているかでした。欧州委員会は「フェタ」はギリシャ固有の名称であり、その製造方法及び原材料は伝統的であると判断したわけです。しかしチーズの名称を巡るEU内部におけるこの法廷闘争が、イスラエルの食文化に新たな問題を投げかけることになるのです。

2008年10月、レバノン実業家協会A.L.I[2]の会長ファディ・アブードFady Abboud氏は、フムス・ファラフェル・タブーリ[3]・バクラワ[4]はレバノン固有の食べ物であるとしてメディア・キャンペーンを展開、イスラエルを欧州司法裁判所に訴える考えがあると発言しました。「フェタ」チーズの判決を受けてのことです。

中東フード戦争-食の領土と所有権

すでに述べたように、イスラエルは移民国家であり、世界中から「帰還」したユダヤ人たちによって、多様な食文化を内包しています。フムスをぬってファラフェルやシュワルマ[5]を入れて食べるピタ[6]サンドは、すでにイスラエルの定番料理となっています。街中では至るところにスタンド式のファラフェル・ショップがあり、宗教や民族の区別もなく、その味を楽しんでいるのです。

しかし、この料理がパレスチナとその隣国の食文化の「剽窃」であり、「フェタ」のようにフムスやファラフェルはレバノン固有のものとして保護されるべきだとA.L.Iは訴えているわけです。A.L.Iは、フムスがイスラエルの伝統食として紹介・表示され、欧米等へ輸出されることによるレバノンの経済的損失は、年間数千万ドルと主張します[7]。A.L.Iの調査によれば、19世紀に南北アメリカ大陸へのレバノン人の大規模な移民が開始され、1862年にフムスがブラジルに渡ったということです。またフムスの缶詰が最初に生産されたのは中東で、1950年代にレバノンから輸出されたそうです[8]。つまり、アメリカ大陸にフムスをもたらしたのも、フムスの商品化も、レバノンが最初だと主張しているのです。

では、本当にファラフェルやフムスに所有権はあるのか、あるとしたらそれは誰のものなのでしょうか。「食」がエスニック・アイデンティティの表明の手段の一つとして認識されるようになり、原産地がフードビジネスにおける品質の保証とブランド化の有効な手段となった現在、問題は決して簡単ではありません。特にイスラエルに関しては、パレスチナ問題とも絡む事柄なのです。

中東フード戦争-食の領土と所有権

フムスとは、ひよこ豆にゴマやオリーブオイル・レモン・ニンニク汁を加えたペーストのことです。フムスの正確な起源は分かりませんが、一般的にはオスマン帝国起源とされることが多いようです。確かに、現在のパレスチナ・レバノンは歴史的には大シリアとよばれる地域[9]の一部であり、オスマン帝国領でした。日本のトルコ料理店でもフムスは出されますし、オスマン帝国時代にも庶民の重要な蛋白源であったようです[10]。しかしひよこ豆はトルコ語では「ノフート」といい、「フムス」はアラビア語でひよこ豆そのものも指します。フムスはオスマン帝国領域に広まっていますが、例えばイラクや北アフリカでフムスの起源を名乗るところはないでしょう。フムスという語がアラビア語であることを考えると、やはり大シリア地域由来の中近東の伝統的食べ物であると言えるでしょう。

イスラエルでは、フムスはオリエント・セファルディーム系移民が持ち込んだと言われています。しかし、それらの移民の中では北アフリカ系が多く、特にモロッコ系が最大です。1970年代までのシリア・レバノン・イラク・トルコ・エジプトの移民の総数は、モロッコ系単独の総数よりも少なく移民全体の中でも7%程度で、さらに言えば、アジア・アフリカ系移民の総数は、ヨーロッパ系移民の半数弱でした[11]。1970年代のモロッコを中心とした北アフリカ系の大規模な移民と政治的・宗教的運動にも係わらず、クスクス等の北アフリカの伝統食は、フムスやファラフェルの手軽さを考えても、それらほど広まっているとは思えません。やはり、イスラエルにおけるフムスの受容に関しては、移民がエレツ・イスラエルに持ち込んだことにより広まったというよりも、伝統的にフムスを食べていたパレスチナへ国家を建設したことにより、土地とともに食習慣も摂取した部分が大きいと言えるでしょう。

中東フード戦争-食の領土と所有権

レバノンによるこの「食の所有権copyright of food」の主張には、長年にわたるイスラエルとの敵対関係が背景にあります[12]。また、レバノンは国内に多数のパレスチナ難民を抱えています。移民国家としてのイスラエルが、世界各地からの移民がもたらした食文化を融合させ発展させていくのは当然のことです。しかしフムスをはじめとした食の所有権の主張には、パレスチナ領土の不法占拠を続けるイスラエル[13]が、被占領地の文化を自国のものとして海外に発信していくのは許せないという隣国レバノンとパレスチナ難民の感情があるのです。

しかし、確かにフムスは大シリア地域の伝統食ですが、フムスやファラフェルといった食文化は「レバノン」や「イスラエル」という固有の国家に属するものでしょうか。現在のレバノンは1943年、シリアは1946年に、共にフランスから独立を達成し建国されました。しかし前述のように、レバノンは歴史的に大シリアと呼ばれる地域の一部であり、ここは宗教マイノリティの多い地域ゆえ、伝統的な宗派主義・部族主義・地域主義が根強く残っています。

このような伝統的な地域意識の強い大シリアの中で、「パレスチナ人/民族」という意識が生まれたのは、1948年の「ナクバ」以降のことと言われています。「ナクバ」とはアラビア語で「大破局」を意味しますが、それは彼らにとって、イスラエル建国のことを指します。土地と財産を奪われ難民あるいは被占領民となったことで、自分たちの民族意識と文化に目覚めたのです。それは、食の分野にも及んでいます。イスラエル国内でセファルディームの文化的復興に伴い「セファルディック・キュイジーヌ」という言葉が現れたように、近年では「パレスチナ・キュイジーヌPalestinian Cuisine」という言葉が使われるようになり、パレスチナ人の伝統的食文化が紹介されるようになってきています。

また領土問題に関して、2009年12月、英国政府はイスラエル占領地の製品を明確にするために、それまでの「西岸地区産Produce of the West Bank」のみの表示を改め、「イスラエル入植地産Israeli Settlement Produce」「パレスチナ産Palestinian Produce」(東エルサレムも含む)を区別して表示する方針を明らかにしました。イスラエル側は、反イスラエル・ボイコットを助長するものであると反発していますが、英国政府は、あくまで食品購入者に生産地の正しい情報を与えるためだとしています[14]。

中東フード戦争-食文化の国境と所有権

イスラエルとレバノンとのフムスをめぐる戦いは今も続いており、ますます白熱しています。それは、一枚皿でつくるフムスの量のギネス記録を競うというものです。2009年10月、レバノンが新記録を樹立すると、2010年1月には、イスラエルがダブルスコアで新記録を更新しました。4000Kg強というこの記録を打ち立てたのは、イスラエルに暮らすアラブ・ムスリムです。

エルサレムの西、およそ15kmのところに、アブー・ゴーシュAbu Goshというアラブ・ムスリムの村があります。フムスの名産地であるため、「フムスと共存の村」として知られ、イスラエルとアラブ・ムスリムの共存のモデルケースとしてイスラエル・メディアに取り上げられることが多い村です。このギネス挑戦を企画したのは、地元のアラブ人のレストラン経営者ジャワダト・イブラヒムJawadat Ibrahim氏で、参加シェフの5分の1がアラブ・マイノリティでした[15]。被占領地のパレスチナ人が自らの食文化とイスラエルによる生産物の剽窃を訴える一方で、イスラエル人としてこの戦いに参戦するアラブも、イスラエルの中に存在するのです。彼らは、オリエント・セファルディー(ミズラヒ)系の移民と占領されたアラブ・ムスリムですが、食文化を共有し、イスラエル人としてのアイデンティティを持っているのです。イブラヒム氏は、アブー・ゴーシュはユダヤ・イスラエルだけでなく、レバノンや他のアラブ諸国とも共存していく、これは殺し合いではなく議論であり、今後ともこの戦いは続いていくでしょうと述べています[16]。

このフムスをめぐるこの戦いには軍も注目し、IDFラジオ放送でこの戦いを「第3次レバノン戦争」であると報じたそうです[17]。ギネス挑戦という手段を取ったこの戦いは、一見楽しいイベント的に見えますが、しかし、その背景には文化剽窃の訴えとパレスチナ被占領地の苦しみがあります。現在のイスラエルの食文化はパレスチナの土地と食文化の上に立っており、「食」の問題はイスラエルとって、周辺諸国との関係を考える上で極めて重要な要素となっているのです。

食文化は、その土地と切り離すことはできません。現在では、大シリア地域にトルコ南部を加えたレバント(東方の意味)という語を使うことも多くなってきています[18]。レヴァント・キュイジーヌLevantine Cuisineの中の、イスラエル料理、レバノン料理、パレスチナ料理というわけです。合法非合法の境界線に分断されながらも、同じ風土で育まれた食文化を共有している以上、その所有権を特定するのは難しく、新たな共存・共食のあり方が問われています。



[1] Protected Designation of Origin(P.D.O)。伝統や地域に根差した特有の食品等の品質の保証と保護及び販売促進を目的とし、EU委員会により1992年に制定された規定。

[2] Association of Lebanese Industrialists。1943年設立。

[3] ブルゴルという挽き割り小麦を使ったサラダです。グリーンオニオンやイタリアンパセリを中心にトマトやキュウリ等数種類の野菜・ハーブとレモン汁やオリーブオイル等を使ってつくります。

[4] ピスタチオ・アーモンド等のナッツ類をパイ生地に包んで焼き、蜂蜜や砂糖のシロップをかけた中近東を代表する甘いお菓子です。

[5] 羊・鳥・牛等の肉のかたまりを串に刺して回しながら焼き、それをそぎ落としてピタサンド等に入れて食べます。ドルネ・ケバブのアラブ版といったところです。

[6] ピタは中東・北アフリカ・アラビア半島で広く食べられているリーンなパンで、半分に切るとポケット状に開きます。ピタとはアラム語だと言われており、その起源は正確には不明ですが、レバノンではギリシャ起源のものとされ、この抗議からは外されています(Magda Abu-Fadil , Director of Journalism Training Program at the American University of Beirut, The Huffington Post 2008/10/23)。

[7] y-net news.com 2008/10/06

[8] Magda Abu-Fadil, 2008/10/23

[9] アラビア語でアッシャームと呼ばれる地域で、現在のシリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナ・イスラエルが含まれます。また、歴史的シリアとも呼ばれます。

[10] 鈴木董『食はイスタンブルにあり-君府名物考』NTT出版 1995年 p.68

[11] CBS, Stastical Abstract of Israel, 2009: Country of Birth and Last Country of Residence

[12] 特に2006年7-10月(1日撤退)の、イスラエル兵士2名の拉致事件に端を発した、ヒズボラ殲滅を目的としたIDFによるレバノン侵攻は記憶に新しい。

[13] 1967年、第3次中東戦争における占領地域からのイスラエルの撤退と、パレスチナ民族問題の解決を要求する国連安保理決議242号が採択されました。また、この決議では、同時にアラブ諸国によるイスラエル生存権承認も含まれています。1973年の第4次中東戦争では、242号を追認する安保理決議338号が採択、2004年にはハーグ国際司法裁判所により分離壁は違法とされ、取り壊し勧告が出されました。

[14] Times Online 2009/12/12

[15] The Huffington Post 2010/01/08

[16] Los Angeles Times: World, 2010/01/08

[17] The Huffington Post 2010/01/08

[18] レヴァントという言葉はフランス語のlevant(日の出る方向)に由来し、19世紀後半以降、この地域におけるフランスの関心と影響が強まるとともに使われるようになりました。広義には東地中海沿岸地域を指します。ユダヤ/イスラエル・アイデンティティーとレヴァントの定義については、臼杵陽『<地中海>の記憶と蘇生:<レヴァント>のユダヤ人』「現代思想 6」1995年 p.158-169 を参照。


投稿日時:2010/3/25 (木) カテゴリー:Rie Report


イタリアとスイス 美食と絶景にふれる10日間 ※大好評につき、満員となりました。ありがとうございます。