イスラエル・ユダヤ食文化

ユダヤ料理とは何か

ユダヤ教の料理とは、通常、聖書の記述(特に『レビ記第2章』)に基づいた食に関する諸規定に沿ってつくられたものを指します。この食規定をカシュルート、そしてこ れに則ってつくられた食物をコシェル(コシャーともいいます)といい、ユダヤ人が食べることが許されたものです。 ユダヤ人がエレツ・イスラエル(エレツはヘブライ語で土地を意味し、広義でのパレスチナ地域を指します)にいたころは、その風土と 食物・料理は一致し、そして祭儀を行う神殿がエルサレムに存在したため、問題はありませんでした。 しかしユダヤ人は、西暦70年のエルサレム第二神殿の崩壊以後、故郷を失い世界中に離散していきました。この離散の状況をディアスポラと言います。世界中 に散ったユダヤ人は、移住先の風土で育まれた食物と調理方法を吸収し、自分たちのカシュルートに則った料理を受け継いできました。それが、今日「ユダヤ料 理」とよばれるものです。
では、およそ1900年に渡るディアスポラを経て、今日「ユダヤ料理」とよばれるものは、一体どのような料理なのでしょうか。ディアスポラのユダヤ人の系 統は、大まかにいって二つに分けられます。一つはドイツを中心とした中・東欧系のアシュケナジーム、もう一つはスペイン・ポルトガルにルーツを持つセファ ルディームです。 この二大系統に加えて、元々イスラーム世界やアフリカ・アジアに住んでいたユダヤ人をミズラヒームとよぶようになりました。[1] このように、世界中の食材と千差万別なレシピを持った多様な料理を、一体何を以て「ユダヤ料理」と呼ぶことができるのでしょうか。

日本でもそうですが、祝祭にはそれと関係した料理がつきものです。ユダヤ教・キリスト教・イスラームといった一神教の料理も同様で、料理と祝祭と暦は、密接に関係しています。 ユダヤ料理は、トーラー[2] の戒律に従った食規定の下、常にシャバト[3] と宗教的祝祭を中心としています。つまり真にユダヤ料理と呼べるものは、以下の2つの条件を満たしたものなのです[4]
①食規定に従って、利用できる食材を加工したもの
②ユダヤの祭日において、伝統的に象徴的意味があるとされる特定の材料の集大成
-つまり、本当のユダヤ料理とは、ある祭日に典型的なもの、決まって食べられるものなのです。例えば、プリム[5] のときに食べられる「ハマンの耳」、ハヌカ[6] の「スフガニヨット(揚げドーナツ)」なども、そのようなものに当て嵌まります。 もっともプリムとハヌカはトーラーの記述に基づいた祝祭ではないため[7] 、これらの食べ物も、当然聖書の記述にはなく、永きに渡るディアスポラの中で、移住先の習慣を受け入れながら生まれたものです。

一方、聖書の記述に基づいた全ユダヤ共通の、最も「ユダヤ的」な食べ物といえば、ペサハ[8] (過越しの祭り)のセデル(最初の日の晩餐)に食べられるマツァと呼ばれる種なしパンと、6種のプレートが挙げられるでしょう。種とは酵母のことで、これ を入れないと、当然パンは膨らみません。なぜ、このようなものを食べるかといえば、モーセに率いられたユダヤ人がエジプトから脱出するときにパン種を持っ ていったのですが、時間がなかったため、パン種は発酵しませんでした。ペサハとは、この出エジプトを記念する祝祭ですから、このときの先祖の苦難を記憶す るために、ニサンの月15日から7日間、種を入れないパンを食べることが神により命じられたのです。これを「種入れぬパンの祭り(ハグ・ハ・マツォッ ト)」といいますが、一方でペサハは「ハグ・ハ・ペサハ」といって、農耕サイクルに従った、季節の変わり目を告げる農耕祭としての側面も持っていていま す。夏のシャヴオート(七週の祭り)・秋のスッコート(仮庵の祭り)とともに、ユダヤ三大巡礼祭の一つに数えられます。この二つの祝祭が一緒になって、い わゆるペサハになったと言われています。「種入れぬパンの祭り」の7日間は、原則的に全ユダヤ人は酵母の入ったものは食べられませんが、酵母入りの食べ物 (ハメツといいます)にもレベルがあって、個人の信仰や家族の習慣によって、食規定の遵守の厳しさは異なり、中には全く規定を守らない人もいたりします。

このように、一口にユダヤの祝祭と言っても、その重要度が各々異なるため、食規定の遵守に対する厳しさも異なってきます。また、カシュルートが存在すると いうことは、裏を返せば規定を守りさえすれば、どんな料理でもOKと考える人もいるわけで、実際のところ、およそ1900年全世界に及ぶディアスポラを経 た「ユダヤ料理」のレシピには、宗教的なカシュルートからは想像もつかないほどバラエティに富んだレパートリーが存在します。小難しい書物に書かれた食規 定と、実際に台所でつくられ食卓や店頭に並べられた「ユダヤ料理」を見比べてみると、理論と実践がいかに異なるか、台所の知恵の偉大さが分かるというもの です。 また、レシピと同じように、出身地、在住地、宗派、人種、信仰の度合い等の区分によって、規定の解釈や遵守の方法の中にも、さまざまな「ユダヤ人」の在り 方を見ることができます。ユダヤの暦は太陰暦で、その暦に沿った祝祭は、イスラーム・キリスト教と同じく移動します。この移動日の重なりにより、長い歴史 の中で、様々な問題が起こったり、新しい習慣が生まれたりもしたのです。トーラーに基づく戒律はすべての基本でありますが、基本を外さない限り、バリエー ションは増えるのです。つまり、「ユダヤ料理」の世界とは、で宗教的不変性と文化的多様性を含んだものであり、また、ユダヤ人の歴史と文化・社会だけでな く、キリスト教やイスラーム社会をも映す、実に興味深く、また美味なものだといえるでしょう。

[1]もっとも セファルディームの中には、1492年のスペイン追放以後(ポルトガル追放は1497年)はイスラーム世界に移住したものも多く、地元のユダヤ・コミュニ ティーと互いに影響を及ぼし合ったため、イスラーム世界のユダヤ人とセファルディームの明確な区別は難しいのが実情です。

[2]モーセ五書とよばれ、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を指します。

[3]ヘブライ語で土曜日のことで、ユダヤ教の休日です。この日は、ユダヤ教徒には労働が禁じられています。

[4]E.R.カステーヨ・U.M.カポーン著『図説ユダヤ人の2000年:宗教・文化篇』訳:那岐一尭、監修:市川裕、1996年 同朋舎出版 pp.80-82

[5]『エステル記』の記述に基づきます。ペルシャ帝国の妃となったエステルと叔父のモルデハイが、帝国全土のユダヤ人を抹殺しようとする大臣ハマンの奸計を挫いたことを記念する祝祭です。ユダヤ暦アダルの月(通常2月)13・14日に祝われます。

[6]紀元前2世紀、異教を弾圧するシリアのアンデイオコス4世との間に起こったマカバイ戦争で、占拠されたエルサレム神殿の解放を記念する祝祭です。キスレヴの月(通常12月)25日から8日間祝われます。

[7]『レビ記』23章で定められた祝祭を「主の例祭」としますが、プリムとハヌカはこれに当て嵌まらないので「小例祭」に位置づけられます

[8]『出エジプト記』の記述に基づく祝祭です。ニサンの月(通常4月に当たる)15日から1週間にわたるユダヤ三大巡礼祭の一つで、出エジプトの記念と、春の訪れを祝します。


投稿日時:2010/2/25 (木) カテゴリー:Rie Report


イタリアとスイス 美食と絶景にふれる10日間 ※大好評につき、満員となりました。ありがとうございます。