イスラエル・ユダヤ食文化

イェマ - 卵のお菓子のディアスポラ

イェマ - 卵のお菓子のディアスポラ ①

Avilaユダヤの料理やお菓子は、世界各地の料理の伝統を取り入れたものです。祝祭の食事としてトーラーで定義されたものでも、長いディアスポラの中で地域ごとの特色が出るものもあります。なかにはキリスト教徒やムスリムと同じような伝統を持つ料理もありますが、同じ料理やお菓子でも宗教の違いによって異なる意味や歴史を持ったりします。
たとえばスペインにはイェマ・デ・サンタ・テレサYema de Santa Teresaという甘いお菓子があります。イェマyemaとはスペイン語で卵黄のことで、ラテン語で宝石を意味するgemmaという言葉から来たという説があります。このお菓子の名前は、キリスト教の聖人であるアヴィラの聖テレサ(1515~1582)にちなんでおり、同じようなもので、セヴィーリャの聖レアンドロ修道院に伝わるイェマ・デ・サン・レアンドロYema de San Leandroがあります。こちらも古くから有名で、祭日や復活祭の聖週間であるセマナ・サンタ(Semana Santa)に食べられる祝祭のお菓子でした。1929年発行のスペイン料理のガイドブックによれば、このお菓子はこの時代には世界的にも有名で、英国の輸出業者がオーストラリアや南アフリカ、そして日本にまで発送していたそうです。レシピのさまざまなバージョンが広まったようですが、完璧につくれるのは聖レアンドロ修道院の修道女だけだったと言われます[1]。
しかし、この聖人と復活祭にちなむスペインの伝統菓子であるイェマも、ユダヤ人と無関係ではないようです。現在イスラエルでは、スペインのイェマのようなお菓子は見られませんが、イェマはさまざまな地域に広がり、レシピのバリエーションが生まれています。その背景には、キリスト教スペイン帝国の拡大と、それに伴う異文化共存の終焉とディアスポラの歴史があります。


イェマ - 卵のお菓子のディアスポラ ②

yemaイェマ・デ・サンタ・マリアは、プチフールのような一口サイズで、名前を見るとキリスト教徒の伝統的なお菓子のようですが、ユダヤ人にも同じようなお菓子が伝わっています。アシュケナジームに伝わるものはジェマjemaと呼ばれるクリームペースト状のものです。過ぎ越しの祭りのときに種なしパンにつけて食べるそうですが[2]、1492年のセファルディック・ディアスポラ以降、ポルトガル系のセファルディームによって伝えられたものと思われています。アシュケナジームはヴァニラスティックやビーンズを入れますが[3]、ジェマはレモンピールやジュース、ビネガー、さらにアーモンド粉を入れるそうです。ジェマはイタリアのリヴォルノやチュニスのユダヤ・コミュニティーでも見られます[4]。
リヴォルノは、古名をリブルナLibrunaといい、古代ローマから存在した小さな港町でした。1421年にフィレンツェ領となってからはメディチ家の港として、およそ300年、地中海の主要貿易港として発展しました。トスカーナ大公フェルディナンド1世デ・メディチ(1549~1609)は、1571年市壁を築き、300隻停泊できる港を建設し、1606年には自由貿易港として関税を免除しました。そのためギリシャ人やアルメニア人、オランダ人、イギリス人などの他にも、改宗を強いられスペイン・ポルトガルを追放された多数のユダヤ人やモリスコが、その宗教文化とともにこの町へ移住してきました。ジェマも、その食文化の遺産の一つでしょう。
Teresa de Avila一方、異端審問時代のスペインでは、コンベルソの家系が迫害を逃れるために一族を修道院に入れ聖職者とすることがよくありました。アヴィラの聖テレサもユダヤ系で、そのような一人であったそうです[5]。コンベルソの家庭で密かに受け継がれてきたユダヤ暦の祝祭と結びついた伝統やレシピの多くは失われてしまったようですが[6]、修道院にユダヤの菓子の伝統が一部伝えられたと言われます。もっとも、イェマがユダヤ起源のお菓子とは断定できません。確かに、ペサハ期間に酵母が禁じられるため、小麦粉を使わないお菓子はマサパンをはじめとして、この時期ユダヤにとっては定番です。しかし、卵は復活祭のシンボルでもあるため、ヨーロッパ各地には卵にちなんだ復活祭のお菓子がたくさん存在します。イェマ・デ・サン・レアンドロのように、スペインのイェマもそのうちの一つであったのでしょう。いずれにせよ、ユダヤ人もキリスト教徒もこの時期、同じようにこの卵のお菓子を食べていたようです。また、イェマについてはアラブ起源説もありますが、はっきりしません。イェマとジェマのように、地域によってレシピの違いも見られますが、イェマ・デ・サンタ・テレサは基本的に卵黄と砂糖、水でつくられ、ジェマのようにアーモンド粉は使用しません。


イェマ - 卵のお菓子のディアスポラ ③

wineスペインにおけるイェマの誕生と発展には、他にも理由があるようです。赤ワインをつくる際、発酵が終わったワインの澱を取り除く清澄剤として伝統的に卵白が使用されてきました。確認される最古のワインづくりはグルジア周辺で行われましたが、フェニキア人によってB.C.1550~300年の間に、イベリア半島を含めた地中海沿岸地域に伝えられました。地中海のパンとワインの文化はローマの食習慣に受け継がれ、紀元1世紀にはイベリア半島にワイン産業が根付いていました。イスラーム時代には一部でワイン産業の減退が見られましたが、キリスト教国領内も含め、ユダヤ人はぶどう栽培やワインづくりと交易に従事してきました。
伝説では、17世紀初頭にフェリペ3世(1578~1621)の治世に、ワイン商人が清澄に使用した残りの卵黄を修道女に与えることを申し出たと言われます[7]。ナヴァラやアラゴンとの間に位置するリオハや、カスティーリャのブルゴス・バリャドリッド・セゴビア・ソリア間のドゥエロ川沿岸地域であるリベラ・デ・ドゥエロが、特にスペイン・ワインの二大名産地として有名ですが、セゴビアでも修道女がイェマをつくってきたようです[8]。アヴィラも、同じくカスティーリャのワインの産地トーロの近くに位置します。卵黄を使って修道女たちがつくったこのようなお菓子の一つが、イェマ・デ・サンタ・テレサです。カスティーリャの伝統菓子イェマは、この地方のワイン産業の歴史とも深い関係があったかもしれません。
新大陸のスペイン・ポルトガル領では宣教活動が盛んに行われましたが、カトリックの典礼儀式にはワインは欠かせないものであったため、現地でワインづくりも始められました。しかし、本格的なワイン生産は、最も早いと言われるチリでも1818年の独立以降になります。17世紀以降、スペイン帝国の国力が徐々に低下していくなか、ワインは新大陸への重要な輸出品の一つでした。特にシェリーなど南部のワインを中心に、スペイン・ワイン貿易が栄えました。ワインづくりで余った卵黄を修道院へ渡すというフェリペ3世時代の伝説も、こうした時代背景の下に生まれたのでしょう。また、スペイン・ポルトガルの植民地の拡大期はセファルディック・ディアスポラの時代でもあり、多くのユダヤ人が新大陸へと逃れ、リヴォルノにおけるように、イェマも広まって行きました。さらにスペイン人やポルトガル人もこの伝播の担い手となり、ブラジルやフィリピンでも、卵黄と砂糖をつかったお菓子が見られたそうです[9]。
イェマという伝統菓子からその起源を辿ると、このお菓子が拡散していく旅と、スペイン・ポルトガルやユダヤ人の複雑な歴史や宗教、食文化の発展を見ることができます。


[1]Dionisio Perez, Guia del Buen Comer Español, Invitario y Loa de la Cocina Clasica de España y Sus Religiones, Madrid, 1929, p.77
[2]Adam Jackson, Yid. Dish: Sugar & Spice & All Things Nice, or Jemma, in The Jewish Daily Forward, published April 06, 2009
[3]Ibid.
[4]Claudia Roden, The Book of Jewish Food, An Odyssey from Samarkand and Vilna to the Present Day, Penguin Books, 1996, p.496
[5]Claudia Roden, The Food of Spain, HerparCollins Publishers, 2011, pp.32-33
[6]Manuel martínez llopis, La dulcería española; Recetarios histórico y popular, Alianza Editorial, Mdrid, 1999, p.25
[7]Claudia Roden, 2011, p.575
[8]Dionisio Perez, 1929, p.299
[9]Adam Jackson, April 06, 2009


投稿日時:2012/3/26 (月) カテゴリー:Rie Report


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