イスラエル・ユダヤ食文化

パンと卵のシンボル

パンと卵のシンボル - 復活祭と春の農耕祭 ①

復活祭イスラエルの春は、ペサハと復活祭というユダヤ・キリスト教双方の最も重要な祝祭の一つとともに始まります。前にも述べた通り、ペサハは新しい一年の農耕祭と結びついています。農耕サイクルは暦と密接な関わりを持ちます。
キリスト教徒にとって復活祭を祝うことは何より重要なことです。キリストの磔刑と復活がペサハの時期に重なっていたため、復活祭の日付の決定に際し、当初はユダヤ暦[1]に従っていましたが、コンスタンティヌス帝の下、325年5月20日より開かれた第一回ニカエア公会議によって、復活祭は春分の後の最初の満月の後の最初の日曜日[2]と定められました。
しかし、キリストの復活がニサンの月のどの日曜日か、共観福音書とヨハネによる福音書では見解が分かれており、ローマは前者、天文学の中心たるアレクサンドリアをはじめとする東方正教会は後者を採用しました。東方正教会は一部を除きローマ教皇グレゴリウス13世による改暦(グレゴリオ暦)を拒み、現在も復活祭の計算にユリウス暦を使用しているため[3]、東西の教会で復活祭の日付が異なることもあります。
「最後の晩餐」の日付も、共観福音書ではペサハ当日、ヨハネによる福音書ではペサハの前夜となります。聖体礼儀で使用するパンが、西方教会では無酵母、東方正教会では酵母入りと異なるのは、この「最後の晩餐」の日付の違いによるもので、東方正教会は、清書のギリシャ語原文から発酵パンと解釈し、領聖に使用します。


パンと卵のシンボル - 復活祭と春の農耕祭 ②

パンと卵聖体は、「生命のパン」たるキリストを象徴します。ユダヤ教の戒律から離れたキリスト教では、カトリックでもミサの聖体拝領に使うパン以外で、復活祭に酵母が禁じられることはないため、キリスト教文化圏では、さまざまな伝統的なパンやお菓子がつくられました。たとえば、アルザス地方では、キリストを指す犠牲の子羊を模ったアニョー・パスカルというお菓子がありますが、英語圏やドイツ語圏では、多産を象徴するウサギの姿をしたお菓子やパンもよくつくられます。
古代においては、パンとワインは地中海ローマ文化圏特有の食べ物であり、肉とエールを主食とする「野蛮な」北方ゲルマン世界に対して、パンは文明を象徴しました[4]。パンとワインはキリスト教とともにヨーロッパ北方まで浸透していきましたが、英語のイースター(Easter)とドイツ語のオースタン(Ostern)という復活祭の呼び名は、ゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」に由来すると言われています[5]。また、復活祭の前の日曜日を除く40日間である四旬節を英語でレント(Lent)と言いますが、これは「長くなる」を意味するlengthenに由来します。春になると日が長くなるという意味です[6]。パレスチナのペサハがそうであったように、復活祭は、ヨーロッパ各地で土着の信仰に根ざした春の祭りと結びついています。
また、イースター・エッグに代表されるように、卵も復活祭のシンボル[7]です。卵は、その中から生命が生まれるため、キリスト復活のシンボルとされたからであり、また冬が終わり新しい生命が生まれる象徴でもあります[8]。エルサレムのキリスト教徒居住地区を中心とした旧市街では、復活祭の前から、赤に色付けされた卵[9]を中心に据えたパンが姿を現します。このような卵を入れたパンは、イスラエルはもとより、世界各地のギリシャ等正教会地域でよく見られます。

パンと卵のシンボル - 復活祭と春の農耕祭 ③

復活祭の前の四旬節の期間は厳しい節制を行う習慣が、古代末期から中世にかけて成立しました[10]。肉・卵・乳製品が禁じられ、食事は1日1回とされました。この節制が解除される復活祭初日のために、卵や乳製品を使用したパンやお菓子がつくられるようになったと言われます。
スペインのアヴィラやサラマンカでは、オルナソ(hornazo)といって、チョリソやハム、固ゆで卵が入った伝統的なパンやパイがあります。オルナソは、復活祭後の最初の月曜日に食べられたそうですが、サラマンカではこの月曜日を「水の月曜日(Lunes de Agua)」とも言ったそうです。大学の町サラマンカでは、かつて復活祭の前の四旬節には、学生たちは日頃の馬鹿騒ぎを止め、潔斎のために娼婦たちはトルメス川の向こう岸にあるテハレス地区へと追いやられました。復活祭後の最初の月曜日の「水の月曜日(Lunes de Agua)」に、学生たちはまた彼女たちの元に行ったという話から、この名が来たとも言われます。もっとも復活祭後の月曜日は、ふつうは家族連れで野原に出かけ、オルナソを食べたそうです[11]。
現在では、一般人がこのような厳しい節制を課されることはありません。しかし、厳しい節制の後に甘いものを欲しがるのは、キリスト教徒も、ユダヤ教徒、ムスリムも違いはないようです。ペサハ明けのミムナーやラマダンの断食明けにはさまざまなお菓子が食べられます。宗教的禁欲が食文化を発展させる要因となるのは、なかなか興味深いことです。

パンと卵のシンボル - 復活祭と春の農耕祭 ④

イスラエルでもよく見られる伝統的な復活祭のお菓子は、正教会の人々が食べるクリーチです。これはパネトーネに似た円筒形のパンで、頭頂部に砂糖を振りかけたもので、復活祭からペンテコステ[12]までの復活節の期間に食べられるデザート[13]です。イスラエルでは、ロシア系の多い地区の、世俗的なスーパー等で見られます。
ユダヤ教徒にはペサハ期間は酵母が禁じられているため、エルサレムのパン屋やスーパーでは酵母を使った食品は排除されます。そのため、そのようなパンやお菓子が見られるのは、ムスリム地区・キリスト教徒地区になります。もっとも、ユダヤ人のすべてがこの戒律を守っているとは言えません。復活祭の期間は、世界中から正教会の巡礼者や観光客が訪れます。このような観光客に混じってパンを買っていくイスラエル人もいるようですが、売る側もいちいち気にしないとのことです。
ペサハと復活祭、及びその前の期間は、エレツ・イスラエルでも最も神聖な時期であり、また、それぞれの宗教・宗派の持つ食文化が垣間見られる時期でもあります。旧市街のムスリム地区のダマスカス門近くのパン屋では、アラブの薄焼きパンのタブーン[14]と一緒に、祝祭日の象徴であるユダヤのハラー、そしてこの復活祭のパンが売られていたりします。エルサレムは三宗教の聖地であり、かつその帰属を巡る紛争の焦点ですが、宗教・人種間の緊張だけでなく、規則では完全に縛ることのできないある種の緩さ、異なる宗教文化と日常生活の混淆もまた見ることができるのです。


[1]現在のユダヤ暦は、日本の旧暦と同じ太陰太陽暦です。太陰太陽暦は古代バビロニアで完成し、バビロン捕囚の時代にユダヤ暦に取り入れられたと言われます。3月・4月に当たるニサンの月の名もバビロニア暦から来ており、第一月とされます(ニサンの月の15日に、ペサハは始まります)。
[2]コンスタンティヌス帝は321年に、日曜日を最初の日とする新たな一週間を定めた勅令を発布しました。これは,キリストがユダヤ暦の週の第一日に復活したからです。当時はユダヤの安息日をはじめ,ローマの異教徒たちは土曜日を安息と礼拝の日としていましたが、この勅令によりそれまでの習慣を捨て、キリスト復活の日を正確に礼拝の日としたのでする(『暦をつくった人々』 デイヴィット・E・ダンカン著 松浦俊輔訳 1998年 河出書房新社 pp.70-71)。
[3]前掲書 pp.304-305。
[4]宮下規久朗『食べる西洋美術「最後の晩餐」から読む』光文社新書2007年p.21
[5]デイヴィット・E・ダンカン p126.
[6]今橋朗『よくわかるキリスト教の暦』 キリスト教新聞社 2003年 p.45
[7]ペサハのセデルでは、固ゆで卵が新しい生命と信仰の象徴とされます。
[8]その他の説として、マグダラのマリアがローマ皇帝へ赤い卵を送り、キリストが天へ昇ったことを知らせたと言います。
[9]赤は、キリストが十字架上で流した血を想起させるため、死と復活を象徴します(「血は生命である」(レビ記17:11))。しかし、青く色づけされた卵が使われることもあります。
[10]もっとも実際に断食が行われるのは復活祭前の聖金曜日だけで、また一般市民が肉を日常的に食べるようになるのは18世紀以降のこと言われています(『地中海の暦と祭』地中海学会編 刀水社 2002年p.159)。
[11]Dionisio Perez, “Guia del Buen Comer Español”, Madrid, 1929, pp.262-263
[12]聖霊降臨祭、もしくは五旬節のこと。復活祭から50日後に祝われる移動祝祭です。ユダヤの初穂の祭りであるシャヴオートに由来します。
[13]司祭によって成聖されたものは正教の奉神礼に使用されます。復活節に食べられるのは、成聖されていないものです。
[14]タブーンとは中東のパン焼き窯で、薄い中華鍋をひっくり返したような形をしています。この窯で焼いた厚いクレープのようなパンのことも、タブーンと言います。


投稿日時:2011/5/30 (月) カテゴリー:Rie Report


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