イスラエル・ユダヤ食文化

カフェから見るイスラエルとパレスチナ

カフェから見るイスラエルとパレスチナ ①

2009年1月10日、ロンドンのケンジントン・ハイ・ストリートのイスラエル大使館の向かいにあるスターバックスが、ガザ侵攻に対する反イスラエル・デモの襲撃を受け破壊されました。襲撃の理由は、スターバックスのCEOハワード・シュルツ氏がユダヤ系アメリカ人[i]で、スターバックスがイスラエル軍に資金援助を行っているとの噂[ii] によるものでした。しかし実際は、スターバックスはアラブ・イスラーム世界に多数店舗を展開しており、一方で2003年にイスラエルからは全面撤退しています。この撤退にも政治的背景が疑われましたが、最終的にこれらの噂に対しスターバックスは、イスラエル軍の軍事活動に一切資金援助は行っていないこと、イスラエルからの撤退はビジネス上の判断であるというステートメントを出しました[iii] 。
これらはCEOがユダヤ系であったことと、グローバリゼーションの名の下に世界を席巻しているスターバックスゆえに起こった事件ですが、実際にイスラエルに行ってみると、スターバックスの徹底も止むなしと納得できるのではないでしょうか。イスラエルは、個性豊かなカフェで溢れた、カフェ大国なのです。


カフェから見るイスラエルとパレスチナ ②

イスラエルでは、1990年代からザネッティのようなイタリア式カフェ・バールのチェーンが出現しました。イスラエルで最大のコーヒーチェーンのアロマ・エスプレッソ・バールは1994年エルサレムに誕生し、現在ではアメリカやカナダ、ルーマニア、キプロス、ウクライナ、カザフスタンにまで出店しています[iv] 。同じくエルサレムの生れカフェ・ヒレル[v]といったコーヒーチェーンをはじめ、様々な個性的なチェーンやカフェがイスラエルの街並みを賑やかしています。エルサレムは、冬は雨が多くロンドンと似た天候と言われていますが、テルアビブ等地中海沿岸は基本的に温暖で、乾いた空気と太陽の下でのオープン・カフェも多く、イスラエルの街を歩く楽しみの一つと言えるでしょう。
またイタリアン・スタイルのカフェ以外にも、砂糖を入れて水から煮出したトルコ・コーヒーもあり、アラブ人街ではこのタイプのコーヒーをバクラワと一緒に楽しむのが、観光の一つの定番です。しかし、この「トルコ・コーヒー」の呼び方にも、レバント(東地中海地域)の複雑な歴史が垣間見られます。

カフェから見るイスラエルとパレスチナ ③

いわゆる「トルコ・コーヒー(Turkish Coffee)」は、レバント地方を中心に、北アフリカ・バルカン半島を含めた広範な地域で飲まれています。コーヒー自体はエチオピアからイエメンを経由しメッカに入りました。当初は家庭で儀式的に飲まれていましたが、いわゆるコーヒー・ショップが流行しだしたのは、16世紀のオスマン帝国です。ウィーンのコーヒー・ハウスの伝統も、オスマン帝国からもたらされました。1683年のウィーン包囲のときです。オーストリア軍を助けて活躍したアルメニア人の間諜に対する報償として、1685年にコーヒーの販売独占権を与えられたことによると言われます[vi] 。
ギリシャ人やアルメニア人は、このようにオスマン帝国の支配下でこのコーヒー文化を共有してきました。しかし現在、イタリアン・スタイルやインスタントのコーヒーに対するこの煮出したコーヒーを「トルコ・コーヒー」とは呼ばず、各々「ギリシャ・コーヒー(Greek Coffee)」「アルメニア・コーヒー(Armenian Coffee)」等と呼んでいます。この「トルコ・コーヒー」は、数百年の流れの中で、すでに各自の伝統として咀嚼され生活の基盤の中に取り入れられたものとなっており、最早、自民族の名で呼ぶのが当然となっています。
しかしその主張には、隣接する民族・国家の対立の長い歴史、特にオスマン帝国による占領の苦い記憶も含まれています。

エルサレムの旧市街の一角にアルメニア人地区がありますが、その壁にはオスマン帝国末期のアルメニア人虐殺[vii]の地図が貼られてありました[viii]。食文化がその影響下で共有されたものであっても、自分たちが日々口にするものに、征服者の名を冠することはしないのです。

カフェから見るイスラエルとパレスチナ ④

パレスチナもかつてはオスマン帝国の版図の一部であり、その末期には圧制に苦しむ一方で、他地域と同じように食文化とコーヒー文化を共有してきました。現在はオスマン帝国の圧制の記憶は薄れ、「トルコ・コーヒー」ということにさして抵抗を感じるようには見受けられません。一般にアラビア・コーヒーは砂糖を入れずカルダモンをよく入れると言われますが、パレスチナのコーヒーは砂糖を入れたものが多いです。そして占領者はイスラエルへと変わり、また新しいスタイルのカフェが、彼らの生活へ入ってきています。
テルアビブ近郊の美しいアラブ人街ヤッフォは観光地化しており、イスラエル人の新市街と同じように、ファスト・フードとともにイタリアン・バール形式のカフェが多々見られます。東エルサレムのアラブ人街でも、また都市近郊のアラブの町でも、イタリア式エスプレッソ・マシーンを使い、クロワッサンやペストリーを出す個人経営のカフェも増えてきます。一部のムスリムたちがスターバックスという「シオニストのコーヒー」を拒絶しても、文化としてのイタリアン・スタイルのカフェは、イスラエル占領下のパレスチナに根付きつつあります。
しかし多くのアラブ人にとって、コーヒーとは伝統的な煮出しコーヒーを指します。新しいスタイルのカフェがパレスチナ人の生活を彩っても、パレスチナ民族のコーヒー文化の伝統は依然として変わりません。それは、イスラエル・ユダヤの食文化が「中東化」しながらもその核を失わず、新しい伝統を築いているのと相似であると言えるでしょう。


[i]彼は1998年に、イスラエル建国50周年に際し、The Jerusalem Fund of Aish Ha Torahから、米国・イスラエル両国の友好に寄与した政治家やビジネスマン・知識人等に送られる賞The 50th Anniversary Friend of Zion Tribute Awardを受賞しています。

[ii]この噂は反イスラエル的ウェブサイトを中心にネット上で広まりました。シュルツ個人のイスラエル支持の発言が、企業としてのスターバックスのイスラエル支援として歪曲され受け止められたためです。スターバックスの他にマクドナルドやコカコーラ、ネスレ、インテル等のグローバル企業がイスラエル軍支援企業として挙げられ、反イスラエル・ボイコット運動の対象とされました。

[iii]Starbucks Newsroom: Facts about Starbucks in the Middle East より。http://starbucks.tekgroup.com/article_display.cfm?article_id=200

[iv]Aroma Israel―Home Pageより。http://www.aroma.co.il/Default.aspx?alias=www.aroma.co.il/en

[v]1998年にエルサレムのヒレル・ストリートに第1号店がオープン。

[vi]ペーター・ラングハマー「ウィーンのコーヒー・ハウスの由来-コルシツキーから現代までー」『コーヒーという文化:国際コーヒー文化会議からの報告』UCCコーヒー博物館編 柴田書店 1994年 pp.116-119。

[vii]19世紀末から20世紀初頭にかけて、オスマン帝国領域内で、断続的にアルメニア人迫害が起こりました。特に大規模なものが、次に第1次世界大戦中の 1915年4月24日に起こった、いわゆる「アルメニア人虐殺」です。ロシア軍と内通したアルメニアの民族運動家に対する対抗措置として、統一と進歩委員会(青年トルコ党)によって、古代からのアルメニア人居住地域であるアナトリア東部からのシリアの砂漠地帯への強制移住が行われ、百万~数百万とも言われる犠牲者を出したとされます。また第1次大戦後の独立闘争とその挫折によってさらに犠牲者を出し、アルメニア人は世界各地へと離散しました。これをアルメニアン・ディアスポラと言います。この「アルメニア人虐殺」は双方の見解の違いもあり、現在もトルコとアルメニア共和国(1991年ソ連より独立)との間で、2009年の国交正常化後も領土問題とも絡み、深刻な問題となっています。

[viii]筆者が確認したのは、2010年4月の時点です。


投稿日時:2011/4/27 (水) カテゴリー:Rie Report


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